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北海道「道の駅」・全市町村完全制覇への道(25) 札幌市白石区編(2) 〜白石歴しるべ 〜

道の駅・全市町村巡り

北海道「道の駅」・全市町村完全制覇への道 25回目です。

前回は、札幌市白石区の札幌市営地下鉄菊水駅を起点として、宇都宮牧場跡、豊平川沿いの有島武郎邸跡地、国道12号線の白石村1番など、「白石歴しるべ」12か所を白石区の歴史について感じながら巡りました。

北海道「道の駅」・全市町村完全制覇への道(24) 札幌市白石区編(1) 〜白石歴しるべ 〜
北海道「道の駅」・全市町村完全制覇への道 24回目です。 前回は、秋の紅葉も真っ只中という札幌市北区の「北区歴史と文化の八十八選」を巡りました。 今回は、札幌市白石区の「白石歴しるべ」を白石区の歴史について感じながら巡ります。 ...

今回は、その後半でさらに12か所を巡ります。

白石歴しるべ

白石区の公式ウェブサイトには、歴史案内板にまつわる解説の詳細が掲載されていることから、歴史案内板を巡るだけではなく、背景、歴史についてさらに詳しく学ぶことができます。

インデックスから散策

4.善俗堂跡地・32.白石村医療発祥の地

明治5年(1872年)3月に、今の本通3丁目南の位置である、白石村28番と29番の土地の間に学問所を開きます。4月には善俗堂と名付けられ、翌年には村人の寄付により校舎を新築し、生徒18人、先生2人だったとのことです。これが現在の白石小学校の始まりです。

白石村は、札幌に近いため、開村以来長い間無医村状態が続きます。明治35年(1902)以降は札幌から巡回医などがいたようですが、開業医はなかなか来なかったようです。

このような中、吉田医師会副会長の診療所(北大通西4丁目)が戦時の重要施設である電話局に隣接していたため、建物疎開令を受け、疎開する必要がありました。そのため、吉田院長はこれを機に村医になることを決意したのでした。

開村以来75年が過ぎた昭和20年(1945年)に、現在地に移転、開院し、その後、診療に尽くし村人の信頼を得たのでした。

吉田さんはすごい方だったんですね。今でもその場所に病院が残っているのは驚きです。

3.白石村役場跡

白石まちづくりセンター・白石会館のあるところは、明治35年(1902年)から昭和 47年(1972)までの70年間、白石村役場の建物があった場所です。歴しるべの案内板による説明によると、歴史は以下の通りです。

「ここに、明治35年(1902)から昭和47年(1972)までの70年間、白石村役場の建物があった。
白石村開村(明治4年・1871)当初の役場は戸長の佐藤孝郷宅で、会議には隣の善俗堂(白石小学校の前身)が使われた。
明治13年(1880)に白石村外四カ村(白石・豊平・上白石・平岸・月寒)戸長役場が上白石村に置かれ、後に白石村3番地に移された。明治15年に開拓使が廃止されて函館・札幌・根室の三県時代となり、戸長役場は豊平村に移された。明治35年には白石村と上白石村が合併し、役場をこの標示板のある白石村47番地に置いた。
この場所は、開拓移民の佐藤孝郷たちが開拓地選定のために見渡した記念すべき場所である。
昭和25年(1950)に白石村は札幌市と合併し、村役場の建物は白石支所として使われた。昭和47年に札幌市は政令指定都市となり、区役所が設置されたために旧村役場の建物は解体された。」

この場所が白石開拓の拠点だったんだね。場所は小高くなっているから当時は周りがとてもよく見渡せたんだろう。

4.白石中央墓地跡

白石村の人たちが入村後にすべきことと決めていたことが3つあります。

  1. 鎮守としての神社を建てること
  2. 子弟教育のための学校を建てること
  3. 死者埋葬のために墓地の敷地を確保すること

白石村24番と25番の間の土地が平地から旧に曲がりくねった高台にあったことから、村人は開拓使開墾掛あてに墓地としての割り当て許可の嘆願書を提出し、許可され、墓地は造成されました。

人口が増え、区画整理などが行われたため、墓地の一部が平岸霊園へ、残りのほとんどが里塚霊園に移転改葬されました。

現在その場所は、白石温水プールがあり、その敷地内に墓地があったことを示す石碑が設置されています。

3つの決めたことが素晴らしいですね。人に敬意を払う、思いやるという思いがわかりますね。

31.陸軍官舎・29.連隊通・26.札幌石炭坑爆発予防試験所

開拓使が明治15年(1882年)に札幌・幌内炭鉱間に敷設した幌内鉄道は、沿線の月寒に独立歩兵大隊が新設されたため、明治36年(1913年)に白石駅が開業します。

駅までの道路事情が悪かったため、明治38年(1905年)に、村の人が土地を寄付し、白石駅から月寒までの連帯まで兵隊の人力で道路を作り上げます。そのため、この道路は連帯通と呼ばれるようになりました。

近くには、陸軍官舎も建築されています。

当初は白石駅から月寒(東北通:現在の月寒中学校付近)までまっすぐ道路を作る予定だったようですが、用地取得ができなかったため、国道12号のところでずれています。

また、幌内鉄道の関連もあり、道内炭鉱の安全を一手に担った札幌石炭坑爆発予防試験所が連帯通沿いに作られます。現在はスーパーマーケットとなっていますが、周囲の松の大木の高さから当時の松の木がそのまま残されているものと思います。

この松はすごいな!きっと当時から変わらず成長し続けているのだろう。

13.白石駅

白石駅は、明治15年(1882年)に幌内鉄道の白石仮乗降場が設けられたことに始まります。必要な時に旗(フラグ)を掲げて汽車を止め、客の乗降や貨物の荷下ろしをするため、フラグ・ステーションと呼ばれていました。

明治36年(1903年)には本格的な駅舎が建築され、白石駅が誕生します。その後、定山渓鉄道や北海道鉄道(旧千歳線)の乗り入れなどの歴史を辿ります。

昔の鉄道の歴史も面白いですよね。幌内鉄道や定山渓鉄道、千歳線などがあって、白石や東札幌は重要な拠点だったんですね。暦しるべのページには古地図もあるので見てみます。

15.鈴木レンガ工場跡

開拓使の札幌での原土調査は明治5年(1872年)と明治12年に行われています。その時、最も土質が良いとされたのが、幌向(ほろむい)青土、次に江別赤土と鑑定されましたが、幌向の粘土は白っぽいという理由で積極的には採用されなかったようです。

明治15年(1882年)に幌内鉄道が開通した当時、白石沿線では、割合浅いところから褐色の粘土が出たそうです。そのため、明治16年に遠藤煉瓦場が2万個製造したという記録が残っているとのことです。

その後、鈴木佐兵衛が明治17年に今の白石区平和通6丁目に本格的な煉瓦製造場を開き、翌年には幌内炭鉱との間の年間45万個という契約を結びます。

鉄道沿線に良質の粘土という条件も重なり、製造されたレンガは、道庁やビール工場、さらには東京駅などで使用されることになりました。

20.水源地通

明治29年(1896年)に月寒に作られた独立歩兵大隊(戦時は6,000人)へ供給する水が必要となりました。

そのため、鹿の踏み分け道を利用して水道管を引き、維持管理用として明治42年(1909)にその上に道路を作ります。これが水源地通の前身となります。

西岡水源地は、明治42年(1909)に月寒歩兵第二十五連隊が軍用として完成させたもので、豊平峡ダムが完成する昭和47年(1972年)まで水道の水源として使われていました。

最初は鹿の踏み分け道を使ったのか!それはすごいな。それが今では立派な道路になっているものな。

7.白石神社

いよいよ白石村100番まで来ました。

明治5年(1872年)に、札幌神社(現在の北海道神宮)の旧社殿を白石村100番地(現在地)に移設され、「札幌神社遙拝所」が創建されました。以来、「白石村(白石区)の氏神として纏われています。

なぜ、100番地という普段人の来ない村外れに神社を作ったのかは、古老座談会などで以下のように語られているようです。

「入植当時、1番地から神社のある50番地(左右50番地づつで全100番地となるため)までは約3kmあった。村の集会などのは善俗堂(28番と29番の間にあるためほぼ中間地点)で行い、本府(札幌市街)へ出かけることも多かったが、村の端の50番地を訪れることはほとんどなかった。そのため、年に1〜2回全村民が集う祭りが行われる神社は、一番村外れに置くことにした。」

社殿は、明治37年(1904年)、昭和41年(1966年)と二度の火災による焼失にあいながらもその度に再建され、現在に至っています。

白石神社は、お正月三ヶ日の初詣に来られるかたが、北海道神宮に次いで2番目に多いそうですよ!

12.ヒグマ騒動の地

開拓者が最も恐れていたのは、エゾオオカミとヒグマです。

出会えば、生きるか死ぬかということになり、常に恐怖と戦っていたようです。

現在の東白石会館付近ではヒグマが捕獲されています。このヒグマは、伝説のヒグマであり、捕獲された後、剥製として、北海道大学付属植物園の博物館に保存されています。

ぜひ、このヒグマのストーリーについて、下記の「白石暦しるべ:ヒグマ騒動の地」の解説をお読みください。

https://www.city.sapporo.jp/shiroishi/shokai/history/rekishirube/documents/reki31.pdf

読んだよ。ヒグマ騒動の物語。いや〜、この場所でそんなことがあったなんて驚くよな。丘珠から来たって書いてあったぞ。

最後に

今回は、札幌市白石区を「白石暦しるべ」に登録されている歴史的な史跡、場所を全てではありませんが巡りました。

今や開拓当時を思わせる風景はほとんどありませんが、この地でその昔、このようなことが起きたのか、あったのかととても歴史を感じることができました。

開拓の時に捕獲されたエゾオオカミやヒグマは今でも剥製として北海道大学附属植物園の博物館に保存されています。

今度は、是非この目で見て、また、関連する場所や地域を訪れ、知識を深めたいと思います。

(2019.11.9)

 

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