JRヘルシーウォーキング2019、次回9月22日は、銭函駅「秋を感じる潮風と浜辺の風景 石狩湾の眺望満喫、工業団地をめぐる銭函ウォーク」です。

勝山館の中世都市を思わせるスケール

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道南の上ノ国町に「夷王山(いおうざん)」という標高159メートルほどの小さな山があります。その山頂に建てられた夷王山神社は、かつて「医王山」と称されたものともいわれ、それが転じて今の何なったという説が主流となっています。

勝山館の築造スケール

 15世紀頃に築造されたとみられる勝山館は、夷王山山頂に近い北西斜面尾根部分が海岸近くまで、約600メートル、面積35ヘクタールに渡る山城です。眼下には大澗(おおま)湾と呼ばれる入り江や天の川、さらに道南十二館に含まれる花沢館跡や洲崎館跡が見え、北東には日本海の海岸線を望むことができます。

 コシャマインの戦いで落城しなかった花沢館には、館主の蠣崎季繁(かきざきすえしげ)が居住していました。蠣崎氏は、その戦いの勝利に貢献した客将の武田信広を娘婿に迎え、1457(長禄元)年に新婚の館として洲崎館を築いたとされています。その5年後、蠣崎季繁が没すると、武田信広が蠣崎氏の当主となり、新たに勝山館の築城に着手、その後の勝山館は、近世初頭の慶長年間(1596〜1615年)まで、少なくとも130年ほど存続しました。

20年におよぶ発掘調査からわかったこと

 勝山館跡は1977(昭和52年)に国指定史跡になり、1979年から20年にわたって、発掘調査が行われました。この20年におよぶ発掘調査では、館の主体部から約200棟の掘立柱の建物、約100棟の竪穴建物などの遺構、陶磁器類やく4万3000点、鉄製品約1万点、さらに獣や魚の骨などを含めると、合計約10万点もの遺物が出土しました。

 陶磁器を詳しく見ると、最も多い碗や皿は中国製の青磁・白磁・染付と、本州の瀬戸・美濃大窯の製品でした。これらは、15世紀後半から16世紀の終わりに作られらたものなので、各地との交流が盛んであったことがわかります。

 また、客殿近くの一角では、銅を溶かして鎧の金具を作った修理加工するための細工場も発見されています。さらに注目されるのは、吹口(ふいご)、羽口(はぐち)、鉄塊などが出土したことです。これらの鉄資料を分析した結果、勝山館内部では、砂鉄や鉱石から金属を取り出す精錬・精錬鍛治が行われ、さらに鋼を館内に持ち込まれていることがわかりました。

館内に混在していたアイヌと和人

 勝山館の発掘で最も注目すべき点は、館の内部にアイヌの人々が居住していたと考えられることです。ゴミ捨て場から大量に出土した骨角器は、その材料であるクジラやシカの骨と角に加工した跡が残り、削った残片なども見つかっていることから、勝山館内部で製作し、使用後に捨てられたことが判明しました。

 さらにアイヌが使用していたと思われる小刀や高台ウラに刻印のある天目茶碗と、同一の刻印が入った白磁皿なども見つかっています。加えて、アイヌ民族がイクパスイと呼ぶ木製儀礼具4本が出土。これにもアイヌ民族が所有者を示す際に刻む印がついていました。

 このように勝山館の発掘から、北の中世における権力者や支配者の存在、アイヌ民族と和人の関係、さらには、後に松前氏となる蠣崎氏が確立した強大な勢力をまざまざと実感させてくれます。

史跡上之国館跡 勝山館跡(国指定史跡) | 北海道上ノ国町
北海道上ノ国町公式ホームページ。北海道函館に隣接する上ノ国町は、中世都市と呼ぶにふさわしい景観で、北海道中世史を体験できる唯一の町として注目されています。
勝山館跡ガイダンス施設 | 北海道上ノ国町
北海道上ノ国町公式ホームページ。北海道函館に隣接する上ノ国町は、中世都市と呼ぶにふさわしい景観で、北海道中世史を体験できる唯一の町として注目されています。

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